おばあちゃんの作ってくれた、大好きだったおこわ。
モチモチのお米の食感と香り
優しい甘さ
ちょうど良い濃さの味加減
味がしっかりしみたにんじん、椎茸、ごぼうに、たまに入っている栗
ああ、また食べたい。
5年ほど前におばあちゃんが亡くなってから、もう食べれなくなってしまった。
あれはきっとおばあちゃんだけのレシピだった。
「なぜ、作り方を教わらなかったのだろう」
亡くなってから、何度も思った。
思春期が長くてひどかった私は、恥ずかしながら、大人になってもなお、おばあちゃんにも辛くあたっていたと思う。
小さい頃両親が忙しくて、面倒を見てくれていたおばあちゃんは、10人ほどいる孫の中でも、なぜか可愛げのない私だけを一番気にかけてくれ、立ち会えなかった死の間際まで、私の心配をしていたと、教えてくれたのは叔父だった。
おばあちゃんの手作りのおこわが本当に美味しくて、大好きで、また食べたいなと思って、おばあちゃんの娘である叔母にも作り方を聞いたけれど、
「おばあちゃん、多分目分量で作っていたから、正確にはわからないな」
とのこと。
確かに、おばあちゃんは料理がとっても上手で、イカ飯も、りんごサラダも、なんでも美味しく美味しく作ってくれた。
昔は、手作り料理を持ってくるおばあちゃんを少し煩わしく感じていたころもあったのかな。
今思えば、本当に、あの一つ一つの料理をもっと噛み締めておけばよかった。
恥ずかしがらずに、作り方をちゃんと教わればよかった。
もう食べれないあのおこわ。
高級なデパ地下のおこわより、100倍美味しいと言っても嘘ではないと思う。
おばあちゃんには、それ以外にも後悔があって、
娘が生まれた時、抱かせてあげられなかったこと。
お仏壇にお参りするたびに思う。
もう少しおばあちゃんに長生きしてもらえたら、抱っこしてもらえたのに。
きっと、泣いて喜んでくれる、そんなおばあちゃんでした。
おばあちゃん、色々ごめんね。
でも不思議なことがあって、娘が生まれた時、仮死状態で、緊急搬送され、本当に大変だったけれど、今では娘は本当に元気いっぱいで、誰に似たのだろうというくらいケラケラ笑って笑わせてくれる子に育ち、クレヨンしんちゃんのように毎日私を笑わせてくれる。
事情を知っている医者もびっくりするくらいで。
そういえば、よくおばあちゃんに「いつも、笑っていなさい」と言われていた。
正直、生きていると、大変なことも多くて、おばあちゃんのいうように最近はたくさん笑えていないかもしれない。今思えば、おばあちゃんの顔を思い出すと、優しい笑顔が浮かぶな。
きっと、この子もおばあちゃんが守ってくれたのだと、実は家族には言っていないけれど密かに思っている。
おばあちゃん、ありがとう。
我が家の「家庭の味」問題〜手づくりってなんだろう〜
話は変わるが、私にはそんな偉大な料理上手な祖母がいて、あれはまさに「家庭の味」だったのだと思う。
しかし…、恥ずかしいことに私はとっても料理が得意ではなく、最近では、
オイシックス、コープ、ヨシケイなど色々な会社さんのミールキットを使ったりしている。
もちろん、スーパーのお惣菜も活用したりで。
となると、子供が大きくなって思い出す我が家の「家庭の味」はどうなるのだろうか。
ミールキットも、一応最後に手を加えるので「手づくり」ではあるけれど、やっぱり家庭の味ではないのかな。
娘が大きくなったら、私もいつか、娘が「ママのあれ食べたい」と言ってくれる料理が、一品でも良いからできるといいな。
#今週のお題「手づくり」